1990-04-12 第118回国会 衆議院 予算委員会 第9号
しかし、このことが戦中戦後過大な伐採を国有林に押しつけたり、戦後四十一万ヘクタールの森林を開拓用地に解放したり、政治の後始末をさせた嫌いもあるのでございますが、しかし、この長所というものを生かした経営を今後強めていくべきではないか、この点が非常に大事ではないか、こう思うのです。農林大臣いかがですか。
しかし、このことが戦中戦後過大な伐採を国有林に押しつけたり、戦後四十一万ヘクタールの森林を開拓用地に解放したり、政治の後始末をさせた嫌いもあるのでございますが、しかし、この長所というものを生かした経営を今後強めていくべきではないか、この点が非常に大事ではないか、こう思うのです。農林大臣いかがですか。
そこで、もう一つの問題は、初め説明の中にもありましたけれども、昭和四十二年当時、ダムをつくって水を引いてくる、その水を利用して農業を振興させる、あるいは水がなくて農地にならなかったところを農地にするというふうなことでもって、その受益農地というのが、あるいはまた開拓用地、そうしたものが四千八百工十ヘクタールであったわけなんですが、やはり十数年たった今日、その受益農地というもの、あるいはまた受益農家、こうしたものもどんどんと
言うまでもなく、この自創法というのは、従来から開拓事業にとっては最大の課題であった開拓用地の確立、確保を国が直接強制的に行うことを可能ならしめたものであり、所有者の意思いかんにかかわらず開拓用地などを買収できるとしたのが自創法であります。
開拓行政を打ち切ってこういう結果が出たという因果関係ははっきりあるんですから、いまお認めになったのですから、この開拓用地について、今度できた公団の趣旨もありますから、やはり農用地拡大の観点から、これを温泉つき分譲地であるとかレジャーランドであるとか、そういういわゆる農外に転用させないで、あくまでも農業用の用地として確保する。
指定当時の面積は二千百六十一ヘクタールでございましたが、昭和二十四年、二十七年の二回にわたりまして、開拓用地に充てるために保安林の一部の解除が行なわれております。その結果、保安林の面積は、長沼町が一千九十六ヘクタール、由仁町は四百十二ヘクタールの合計千五百八ヘクタールとなったものでございます。
特に先般問題になったように、ずっと以前に開拓用地として売り払いをしたものが、十五、六年も経過した上で、農用地として利用しないままに、別荘地として何万倍の価格で売り払われているという例もございましょうし、また神戸営林署管内の六甲山ろくのように、最初から農用地にする意思はなくて、そうして払い下げを受けて住宅地としてばく大な金額で売り払ってもうけをとっているところもございます。
ずっとためたままほうっておくということでなくて、開拓用地として使わないものにつきましては、順次そういう手続を経まして、林野庁のほうにもう一ぺん返すという手続を経ておるわけでございます。
そこで、もう一つ、これはやや性格は違うのでありますが、群馬県の私の近くで元生品飛行場のあとを開拓用地として開拓計画を立てたのに対しまして、四年ばかり前でありますが、東京のある鉄鋼会社がそこに鉄鋼の工場を建てたいということで、約五万坪でございますが、転用の許可を受けたわけです。これは決して悪質であったというふうには私も見ておりません。
たとえば適地適作を原則とする開拓用地が測定を誤ったとか、あるいは好ましくない条件の累積のために入植者を選定することができなかったとか、要するに、驚くべき膨大な土地というものがすでに戦後二十年を数えている今日遊休状態にあるということは、開拓行政に対し少なからざる疑問を私は持つんですけれども、どういう理由によってこういう状態になっているのか、まあその辺の経緯を少しく詳細に聞かしてもらいたいと思うんです。
そこで、そういう一環として考えた場合には、この土地は農業の用に使ったほうがいいのか、あるいは林業の用に使ったほうがいいのか、あるいはさらに造林地にするのか、樹林地にするのか、あるいは開拓用地として利用したほうがいいのかは、それぞれの村で第一義的には判断をしていただくことになるのではなかろうかと考えておるわけでございます。
○政府委員(桧垣徳太郎君) 大規模の共同利用の模範的な牧場をつくりますためには、先ほどお答えいたしましたような意味で、現在の農林省関係機構の中では、この機械公団が最も適当と考えておるのでございますが、土地収得について、困難な問題であるから、この公団にやらせるべきではないかというお話でございますが、土地の取得という問題は、農林省としても過去の開拓用地等の取得等を通じまして痛惑いたしておりまするところは
まず、前半が開拓全般の資料でございまして、最初に第一ページに、開拓用地の収得及び売り渡し状況ということで、三十九年までの実績を掲記してございます。で、次に二ページ以下に、開拓事業の実績がございまして、ここに建設事業、その他のいわゆる土壌調査、土壌改良、開墾作業、入植施設といったような従来の開拓に関する諸事業の実績を掲記いたしておいたわけでございます。
ただ、知り得る限りにおいて、いろいろと調査いたしてみましたところ、昭和二十三年から三十三年までの間に開拓用地として取得された面積は七十六万八千町歩程度のようであります。このうち、国有地は四十五万九千町歩ほどでありまして、そのうちの国有林野から所属がえをいたしましたものは、約十二万九千町歩のようであります。
山形県の尾花沢市の開拓用地が一部所在不明であるという指摘を受けたわけでございます。この土地は農地開発営団から引き継ぎを受けました土地と、それから一部買収をいたしました土地のトータルで百四十六町の土地の一部分でございます。
○吉田(賢)委員 次に農地局の方に伺いたいのですが、これは検査院の指摘事項でありまして、五十二ページの一番下に書いてある山形県の尾花沢市開拓用地の十四町九反六畝二十九歩ですか、この問題ですが、結局これは検査院の指摘したところによりますと、十二町七反九畝何がし所在不明ということになるのでありますが、私はこの問題自身を最後までどうこうという意味でお尋ねするのじゃないのでありまして、やはりなぜこんなことになるのかということを
○任田説明員 この自作農創設特別会計で扱っておりますところの国有農地の関係、特に開拓用地として国が十数年前に買収いたしました問題でございますが、この問題につきましては、前々から会計検査院からも御指摘を受けておるわけでございまして、当時緊急開拓の政策にのっとりまして、食糧増産、自作農創設という国の方針によりまして、大幅に土地を買い上げたということはございました。
この開拓用地の営農指導というのはとこでやっておるかというと——農地局長のような専門家に私がこんなことを言うのは、ちょっと私は筋違いだと思いますがね。どうもあなたは、まあ前の経歴、どんな方かよく存じませんのですが、あまりよくその間の経緯を御存じないのではないかと思うから、私がお話しするのです。この開拓地に対する営農指導というのは、北海道知事の権限にあるわけですね。
こんなことで大事な、しかも一万一千町歩、別寒辺台は八千五百六十七町歩、約二万町歩以上のものは、そう簡単に防衛庁に所管がえになったり、開拓用地がそんなに簡単に、農地局長の所管だから農林大臣の承認を得ればいいでしょうというようなものではない。だれかかわって御答弁できる人があれば、かわって答弁してもらっていいのです。
○横路委員 農地局長、私の聞いているのは、これは開拓財産、開拓用地なんだから、農林省の所管のものでしょうと聞いているのです。所管がえはあとのことなんです。そうなんでしょう。
○立川説明員 本年度の開拓用地の買収予定面積は、二万四千町歩であります。開墾そのものはすでに買収をして売り渡したものを入植増反者が開墾をする、その計画が別にございますが、これは正確な数字は今宙に覚えておりません。
この会計の歳入歳出は十三億八百万円でありまして、開拓用地等の買収及び売り渡しにつき必要な経費を計上いたしております。 第(六)に、開拓者資金融通特別会計につき申し上げます。 この会計の歳入、歳出は二十五億三千百万円でありまして、新規入植戸数、四千戸を予定して、営農資金及び共同施設資金八億八千百万円を貸付けることといたしております。
第五に、自作農創設特別措置特別会計につき申し上げます、この会計の歳入、歳出は十三億八百万円でありまして、開拓用地等の買収及び売渡しにつき必要な経費を計上いたしております。 第六に、開拓者資金融通特別会計につき申し上げます。この会計の歳入、歳出は二十五億三千百万円でありまして、新規入植戸数四千戸を予定して、営農資金及び共同施設資金八億八千百万円を貸し付けることといたしております。
この会計の歳入、歳出は十三億八百万円でありまして、開拓用地等の買収及び売り渡しにつき必要な経費を計上いたしております。 第六に、開拓者資金融通特別会計につき申し上げます。この会計の歳入、歳出は二十五億三千百万円でありまして、新規入植戸数四千戸を予定して、営農資金及び共同施設資金八億八千百万円を貸し付けることといたしております。